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キャラ愛とは何なのか

久しぶりにブックオフで本を買いました。
『艦これなのです!』という、艦これのコミカライズ。
2014年前半だから、割と早い段階。

本編は満足でした。とりあえずキャラが可愛い。
ストーリーに関しては、打ち切りじゃなければまた何か変わったのかもしれない。
そんなことを考えつつ、ちょっと読了後に調べた諸々で思う所があったので書いておきます。

長いので折りたたみ。
あと、割と思ったことを率直に言っているので、気分を害したらごめんなさいね。


読み終わった後でAmazonのレビューを見た所、大勢を占めたのは次のような意見のようでした。
・絵は可愛い、けどストーリーが駄作
・キャラが原作と違う、キャラ愛が足りない

こういうレビューを見ていて思ったわけです、「キャラ愛ってなんだろう」と。

「原作のキャラが好きだから、原作からずれてるこのキャラは間違ってる、おかしい!」というのは、キャラ愛から出る言葉なのか。それは、自分が好きなそのキャラの像を押し付けているだけではないのか。

設定が所々よく分からんと言うのは同意するにせよ、キャラクターの一側面を強調したり、或いはそこから幅を広げてというのは良くある話なわけで、そこに噛み付きすぎでしょう。
よりにもよって、まともなストーリーが存在せず、性格や振る舞いには多く想像による補完が必要な艦これという世界観で。

私自身としては、艦娘の司令官に対する台詞(つまりゲームで聞ける台詞)と姉妹に対する態度とでは、必ずしも同じではないと思っている人です。それはまあ、TRPG畑の人間というのもあるでしょうが。

「響は能弁じゃないし熱血キャラでもない」
「雷が意地悪でクズっぽい」
「電が不殺をひたすら云うだけの不殺主義者で、世界のことや仲間のことを考えていない」

いいじゃないですか、姉妹と一緒にいるときの姿が自分の見ている姿と違っていたって。
優しい部分が強調されすぎて、却って見てられなくったって。
そんな脚色がされたキャラを愛おしく感じる人だっている筈です。そんなギャップが好きな人だっている筈です。

艦これは、原作から与えられている情報が少なくて、だからこそ創作の幅があるとも言えます。
公式にしたって、そこを統一解釈で抑え込むつもりがないのは、アンソロジーが根強く展開されていることからも分かるでしょう。
なら、この漫画に描かれた第六駆逐隊だって解釈し得る姿の一つの筈。

解釈の余地が多分に残る原作から、自分の好きな一つの解釈を生み出してそれを押し付けることは、果たして「キャラ愛」なのか。
……という言い方だと、どちらもどちらになってしまいますね。
でも、自分が好きな解釈が正しいと信じ、他の解釈・異なる性格のキャラを「キャラ愛がない」と切り捨てるのは、果たしてどうなのでしょう、と思ってしまうわけです。

今回の案件はある意味、艦これだからこそ反論できるものだと思います。あとは東方とかかな。
ただ、十人十色と言うように、人によって違った艦娘の姿が、キャラの姿があるんだということを認めるのも、「キャラ愛」には大切なことではないでしょうか。
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